50代半ばの家移り日記

53歳からの住み替え備忘録。ついでに大学(通信制)の勉強、とか。

はじめまして(このブログについての2,3の覚え書き)

こんにちは。月夜埜銀鼠(dexter)です。ぎんねず、とでも呼んでください。なんでもいいです。
この日記はタイトル通り、50代半ば*1マダオリーマンこと、ワタクシ月夜埜銀鼠が住み替えをするまでの顛末日記です。それに日日の大学の勉強(おもに卒論制作)とか、仕事の話とか、さいきんはウクライナ侵攻の話もいろいろと織り交ぜています。

このブログは、日付通り2022年1月14日(金)からはじまります。
いま現在(2022年6月18日時点)に続く(そしてまだ終わりを迎えていない)〈家移り〉のはじまりがその日であり、いわゆる〈新築での住み替え〉に関しては、その日からあまりにジェットコースター的な日々が続いて、平平凡凡な日日を過ごしていたわたしの人生においても希有で濃密な時間を(結果として)過ごしていることから、それらの記録を書き残しておこうと何日か分をしばらく前にこのブログに書き置いていました。

簡単に自己紹介

一夫一婦制を堅持し、子どもはふたり。老猫一匹。高齢で子どもを持ったので、ふたりとも現時点(2022年)ではまだ小学生。
われわれ夫婦は共働きですが、そろそろ定年を臨むような位置に居る。わたしに限って言えば〈マダオリーマン(=まるでダメななサラリーマン)〉である。出世もしていないし興味もないし。仕事は〈ライスワーク〉と割り切っている。
住んでいるのは川崎市内のマンション、3LDK。

住み替えを考えたきっかけは、いきなり某ハウスメーカに営業をかけられたことが直接のきっかけです。それまではいまのマンションが手狭になっていて「そのうち考えないとなー」という程度の心配レベル。要は〈住み替え〉については真剣に考えてこなかったということですね。
それがある日、突然・・・。

リフォームも考えたけど

この先子どもたちが成長するに従っても、この物理的状況は解消されることはない。なにより15年以上暮らした街を離れることはいやだし、たくさんの方たちとこの土地で知り合いになれたということもある。また一から人間関係をつくるのはしんどい。
リフォームも一考したのですが、後ほど登場する八卦見の先生からは「この2年間は〈壊す〉ということは一切禁止」と言明されてしまいました。

ほったらかしの日記をもう一度

しかし、土地探しの顛末はのっけからあまりに多くのことがあって(ありすぎて)、かつ仕事が21年度末を迎えるに従って絶賛デスマーチだったこともあり、けっきょくほとんど書けなくて放っておくことになってしまいました。
それが3月末くらいまでのこと。

その状況が2022年3月30日になって、変わります。
日記本を専門に売っている「日記屋 月日」(下北沢)の「日記をつける三ヶ月」というワークショップに参加することになりました。
tsukihi.stores.jp
文字通り、ひたすら日記を書き続けるワークショップで、その日記の開始日が3月30日でした。その日記自体はWS参加者以外には公開されていませんが、後後ここに移行していくつもりです。
そのワークショップも先日(6月12日)にいったん区切りがつき、あとは〈放牧〉状態になっている、つまりはそのままクローズドな環境で日記を続けていくもよし、そうでなくてもよし、参加者の意思次第ということなので、わたしはいったんはそのまま続けて日記をそちらで書いています。

と同時に、毎日日記をつけるということがクセになったことから(要するに習慣化)、ふと土地探しの狂騒の日日をもう一度記録し直そうかという気分になりました。せっかくの狂瀾怒濤の時間でしたので自分のためにも残しておこうと思ったのです。

とはいえ、当時のメモや記録は大して残ってはいないのであやふやな部分も多く、日付もとびとびになるかもしれないので、〈実録・住み替え〉、というのにはほど遠い内容になってしまうかもしれません。
それでもまあ、老いさらばえていく50代の脳みそのためにも、薄れゆく記憶を繋ぎ止めるにはいいかもしれないと思っています。

なお、登場人物や企業については適当にぼかしていますし、金額その他センシティブなことについては伏せるつもりです。ただ、大事なところは記録をとって保管していますので、なにか指弾されてもひとまず反論はできるようにはしているつもりです。

*1:この日記を再開した時点では54歳。