露伴の至情

めし、フロ、ついでの読書とか、大学の勉強もしてる

「健康な権力闘争」?

昨夕、背中にゾクッと寒気を感じて、急ぎメールやらを送って仕事を退勤し、ベッドに潜り込んだ。幸いそのまま発熱などはなく、今朝は子どもたちを地元のドッヂボール大会へと送り出すことができた。
秋冷の朝だが、自転車に乗って感じる風は気持ちいい。

子どもたちを送り届けて、トンボ返りをし、そのままPTAの会計監査(中間)で近所の市民センタへ向かう。昼過ぎまでたっぷり。
帰宅してそのまま机に向かい、[国際政治論]の授業レジュメの続きをやっつける。テーマは第二次世界大戦について。今週末にはまた課題レポートを書かねばならない。地元の図書館には参考文献を予約しているし、なんとなくレポートの構成はできている。

そこからは、机というより部屋のあちこちに積み上がった新聞の整理をはじめる。大学で政治学の勉強をしはじめたときから、なんとなく新聞スクラップを続けていて、小忠実に整理するときはするのだがここのところは無精、その結果新聞の束が部屋を蚕食してきたので、ようやく衆院選も終わったことだし、重い腰を上げることにした。

衆院選については、それだけで一冊のスクラップブックをつくった。わたしは朝日新聞を定期購読しているから、必然と朝日の記事が多くなる。それだけでは当然偏りが出るので、日経を主としてコンビニで買ってきている。たまに読売、ついで毎日あたり。

各紙の記事をチョキチョキしてアラビア糊でパタパタ貼るときに、たまたま、衆院選スクラップブックの最初のページを開いたら、毎日新聞のオピニオン記事として、〈専門記者*1〉伊藤記者の2021年9月4日付朝刊に「時の在りか」と題したコラム(しかし、この記事はオピニオンではないだろう)が貼ってあった。
mainichi.jp

初読のときもそう思ったが、一読、やっぱりよく理解できない一文で、ここで言う「コンビニ」は「政党」あるいは「永田町」の暗喩ととれるものの、後半になって「コンビニ」は《とうに生活文化になってい》て、《生活者全員がコンビニ人間に組みこまれている》とくる。ここで言う「生活者」とは何を指すのか。どのようにコンビニ人間に組みこまれているのだろう。

ここで言う〈コンビニ人間〉とは、〈政治家〉ないしは〈国会議員〉の謂いのようなのだが、

与えられた秩序、見えない命令に敏感だ。自分から命令を求め、従うことで人間らしく振る舞えると感じ、安心する。

と前半で言及しているので、どうやら〈命令秩序(あるいは上意下達)に従順な政治家〉を意味するらしい。

見渡せば、コンビニ人間でないのは、皮肉にも二階氏くらいかもしれない。

という一文からそれは窺える。皮肉もなにも、そりゃ、二階さんは命令するお立場の方だもんね(いや「だった」と過去形にしておきましょう)。

そこから筆者は、

全て型通り整然と、清潔に、きめ細かく不快さや不便さを取り除いて正解だけを差し出された生活は、かえって息苦しく、活力をそがれ、大局へのまなざしをふさがれるものだ。
逆説めくが、政治の新陳代謝には時に健康な権力闘争も必要だ。長すぎた安倍政治の下、自民党は政局のやり方を忘れてしまった。

と続けるが、いったい何を言わんとしているのだろう。
要するに、自民党の政治家諸君は、長い間の安倍政治に〈骨抜き〉にされ、本来の活力を失ってしまった。それは自民党自身による「コンビニ人間計画」(陰謀論かよ)なので、もっと「健康な権力闘争」をやって政治を活性化して欲しい、ということと理解したのだが。
しっかし「健康な権力闘争」ってなんだ? ついでに言えば「健康な権力闘争」を忘れているのは野党だってそうではないのか。そもそも権力闘争に健康も不健康もあるのかなあ。
今回の衆院選結果を受けて、このオピニオン子は次に何を述べられるのだろう。次の第一土曜日の毎日新聞朝刊が楽しみだわ。
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*1:と記事末尾にはあるが、専門記者ってなんだ?