50代半ばの家移り日記

53歳からの住み替え備忘録。ついでに大学(通信制)の勉強、とか。

「ポアロ・タイム」

本日も晴天。昨日の疲れは残っているが、早朝5:00から仕事をする。書類作成。まとまった時間が欲しくてこういう段取りになった。
仕事をひと段落させて、子どもたちをドッジボールに送り出し、また仕事。いつになったら慶應通信の勉強ができるのだろう。

ようやく昼過ぎに仕事用のパソコンを閉じて、一休みする。
天気が良いのでこういうときは外へ出るのもいいんだが、少しアタマをリフレッシュしたい。
仕事で煮詰まっていたり、気分がクサクサしていたり、なんとなく気怠かったり、やる気がないとき・・・というと、わたしの生活時間のだいたいがそうなんじゃないかと思ったりするのだが、そういうときにはTVで「名探偵ポアロ」を観るに限る。録り溜めていた放送をゆっくりと観るのである。
www4.nhk.or.jp

小うるさいギャグもなく、鬱陶しい「なぞり」もなく、ミステリなので「テレビから離れたい」というこちらの気持ちもだいぶ鎮まる。病気の快復途上にはよくソファに向かって眺めていた。

一昨日は「オリエント急行の殺人」、昨日は途中まで観かけていた「4階の部屋」、今日は「砂の上に書かれた三角形」だ。感想を書いておきたいが、そこまでの気力も湧かず。
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土曜日と水平線

あまりに急激に仕事が忙しくなって、つい更新が途切れてしまった。これからもこういうことはあるだろう。
久しぶりの土曜日、と言う気がする。

週末に持ち込んだ仕事にまだ手をつけていないが、天気もいいことだし、というか先約があって、今日は昼間に羽田沖のクルージングに息子と出かけることになっている。
クルージングといっても、羽田空港に着陸するジャンボ機の真下を眺めるのが主目的。誘っていただいたのは慶應通信で知り合ったJさんで、国営会社のエースパイロットだった方だ(いまは定年退職された)。飛行機のみならず羽田空港の施設やその付近もたっぷりと解説してくれる。

羽田空港の近くには「羽田空港船着場」というシブい名前の船着場があり、空港第3ターミナルからそこまで歩く。そういう場所があることはあまり知られていないのではないかしら。f:id:zocalo:20211113224539j:plain

そこからジェットクルーズで多摩川河口に向かい、空港の縁をなめるように進んでいく。多摩川東京湾に流れ込むちょっと手前にある海老取川を入って行き(ここには天空橋があるが、名前から受けるイメージと違ってずいぶん小さい)、京浜運河
京浜運河 - Wikipedia
へと進む。f:id:zocalo:20211113224615j:plain

目指すのは、B滑走路手前。そこで〈アンダージェット〉撮影をする。このあたりの詳しいことはまったく解っていないので、次から次へと飛行してくる機体の〈腹〉を眺めては撮影していく。だいたい動画撮影していたので、写真ストックが少なく、かつ下手くそになってすいません。
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非常に迫力のあるシーンが続いた。こちらの映像も迫力があるが、飛行機の着陸はなんというか焚き火を眺めているのに近い心境になる、かも。
www.youtube.com

Jさんに御礼を言って空港に戻り、少し小腹を満たした後は、のんびりと帰宅。
あ、タイトルは開高健の同名のエッセイからとった。

「健康な権力闘争」?

昨夕、背中にゾクッと寒気を感じて、急ぎメールやらを送って仕事を退勤し、ベッドに潜り込んだ。幸いそのまま発熱などはなく、今朝は子どもたちを地元のドッヂボール大会へと送り出すことができた。
秋冷の朝だが、自転車に乗って感じる風は気持ちいい。

子どもたちを送り届けて、トンボ返りをし、そのままPTAの会計監査(中間)で近所の市民センタへ向かう。昼過ぎまでたっぷり。
帰宅してそのまま机に向かい、[国際政治論]の授業レジュメの続きをやっつける。テーマは第二次世界大戦について。今週末にはまた課題レポートを書かねばならない。地元の図書館には参考文献を予約しているし、なんとなくレポートの構成はできている。

そこからは、机というより部屋のあちこちに積み上がった新聞の整理をはじめる。大学で政治学の勉強をしはじめたときから、なんとなく新聞スクラップを続けていて、小忠実に整理するときはするのだがここのところは無精、その結果新聞の束が部屋を蚕食してきたので、ようやく衆院選も終わったことだし、重い腰を上げることにした。

衆院選については、それだけで一冊のスクラップブックをつくった。わたしは朝日新聞を定期購読しているから、必然と朝日の記事が多くなる。それだけでは当然偏りが出るので、日経を主としてコンビニで買ってきている。たまに読売、ついで毎日あたり。

各紙の記事をチョキチョキしてアラビア糊でパタパタ貼るときに、たまたま、衆院選スクラップブックの最初のページを開いたら、毎日新聞のオピニオン記事として、〈専門記者*1〉伊藤記者の2021年9月4日付朝刊に「時の在りか」と題したコラム(しかし、この記事はオピニオンではないだろう)が貼ってあった。
mainichi.jp

初読のときもそう思ったが、一読、やっぱりよく理解できない一文で、ここで言う「コンビニ」は「政党」あるいは「永田町」の暗喩ととれるものの、後半になって「コンビニ」は《とうに生活文化になってい》て、《生活者全員がコンビニ人間に組みこまれている》とくる。ここで言う「生活者」とは何を指すのか。どのようにコンビニ人間に組みこまれているのだろう。

ここで言う〈コンビニ人間〉とは、〈政治家〉ないしは〈国会議員〉の謂いのようなのだが、

与えられた秩序、見えない命令に敏感だ。自分から命令を求め、従うことで人間らしく振る舞えると感じ、安心する。

と前半で言及しているので、どうやら〈命令秩序(あるいは上意下達)に従順な政治家〉を意味するらしい。

見渡せば、コンビニ人間でないのは、皮肉にも二階氏くらいかもしれない。

という一文からそれは窺える。皮肉もなにも、そりゃ、二階さんは命令するお立場の方だもんね(いや「だった」と過去形にしておきましょう)。

そこから筆者は、

全て型通り整然と、清潔に、きめ細かく不快さや不便さを取り除いて正解だけを差し出された生活は、かえって息苦しく、活力をそがれ、大局へのまなざしをふさがれるものだ。
逆説めくが、政治の新陳代謝には時に健康な権力闘争も必要だ。長すぎた安倍政治の下、自民党は政局のやり方を忘れてしまった。

と続けるが、いったい何を言わんとしているのだろう。
要するに、自民党の政治家諸君は、長い間の安倍政治に〈骨抜き〉にされ、本来の活力を失ってしまった。それは自民党自身による「コンビニ人間計画」(陰謀論かよ)なので、もっと「健康な権力闘争」をやって政治を活性化して欲しい、ということと理解したのだが。
しっかし「健康な権力闘争」ってなんだ? ついでに言えば「健康な権力闘争」を忘れているのは野党だってそうではないのか。そもそも権力闘争に健康も不健康もあるのかなあ。
今回の衆院選結果を受けて、このオピニオン子は次に何を述べられるのだろう。次の第一土曜日の毎日新聞朝刊が楽しみだわ。
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*1:と記事末尾にはあるが、専門記者ってなんだ?